奨学金借りたから不幸になったみたいなこと言ってるダサさと見苦しさ

奨学金435万借りた17歳に34歳の私が言ってやりたい7つのこと とかいうエントリーが流れてきたので読んでみて、バカだなーと怒りが湧いてきたので久々にブログを書くの巻。

 

奨学金の主旨、否、高等教育の主旨ってなんぞや。高い知識と高度な専門性を身に付けて、より社会に“価値を産み出す”ことが高等教育の主旨であって、奨学金によって何らかの制約を除いて高等教育を受けることやより集中できるようにするということがその機能だと思うわけです。

 

こんなん誰に習わなくても分かるし、そんなこと想像できないような人種が高等教育を受けても無駄だし奨学金を受ける価値は無いんじゃないでしょうか。

 

僕も奨学金を300万弱返していますが、それによってアルバイトをする時間なんて最小限にできたし、バイトそれ自体も興味や経験(と楽さ)で選ぶことができ、勉学と課外活動により集中することができました。300万ぐらい余裕で上回る経験と、今の仕事ができていると思っています。

 

奨学金を受けることで、アルバイトをする時間を減らせたであろうし、その奨学金の対価として獲得した時間をどう使ったかはその人の問題です。

 

月2万?それくらいなら簡単に返せると思わないで

 とか、

 

奨学金を借りてまで学びたいことは何なのか、自分の答えを出す

 

とか書いてますが、はっきり言うと、17歳でそんぐらいが理解できない程度の人は確かに返済の必要な奨学金を受ける必要も、大学に行く必要もないんじゃないかと思う僕は冷たいのでしょうか。

 

無担保、低金利、超長期返済可能な奨学金は金融サービスとしては超破格です。その価値は若者の可能性を伸ばすという社会の善意で成り立っています。それを自分の頭の悪さで否定っぽく書かれてもなぁ、と思ってしまいます。直接は否定的に書いていませんが、結論はほぼそうですよね。

 

私は農家の嫁になってからはお給料というものがなくなったので、旦那さんのお給料で返済してもらっている。毎月2万くらい自分で働いて返せると思っていた私にとって一番の反省点かもしれない。

 

という記述がありますが、大学教育を奨学金で受けることができた結果専業主婦というのは社会的には非常にもったいないです。仮に、給料ではない=農家収入としてとなるという意味合いで働いているとしても、月2万ぐらいの“大学教育を受けていたなりの付加価値”を付けれている自信が持てないのは、個人の問題だと思います。

 

大学のレジャーランド化とか、誰でも卒業できるとか言う話はその通りですが、どう過ごすかは個人の問題であり、あの4年間は超絶価値のある体験だと個人的に考えているので、それを否定する人は4年間を活かす能力が無かっただけど断罪して、話を終了にしたい気持ちでいっぱいです。

 

“学校の勉強は社会で役に立たない”って言うやつほど勉強してないだけ、という現象と同じですね。勉強したそのフレームワークや学びのメソッドは必ず役に立ちます。勉強しなかった人の戯言や、有意義に過ごせなかった人の責任のなすり合いを聞いて、若い人が自分の可能性を狭めるようなことが無いよう、願っています。

 

以下、それはお前の問題だろって発言とかピックアップ。

 

↓アカウント名からして知性の無さを晒していますが、、、

何でこんなに人の善意を捻じ曲げて受け取れるんだろう。。。サラ金ですら貸さないものを、若者の将来性への期待という無形のものを担保で貸すのですが。こういう他人にばかり責任と理解を求めるクソ野郎(のクセに上から目線)はこの人ぐらいの年代から上に多い気がします。老害ですね。  

中身読んでます?一説によると、RTする人の半数以上が本文を読んでいないとのことです。  

それはあなたの17歳当時の知性レベルの問題でしょう。未成年でもこんなに有利な金融商品の価値が分からない人は大学に行くだけ無駄です。  

借金だけが急につくんじゃなくて、お金をそれまでにもらっているのですが・・・。理解してるのでしょうか?  

これは重要な議論。

 

 

こんなに書く気も攻撃的になる気も無かったのだけど、書くほどに自分の無自覚と無見識を一般化している構図に腹が立ってきて長くなってしまった。

 

おやすみなさい。